02被害発生のきっかけ

ニューヨークの思い出

1998年前の晩春、ニューヨークに住む叔母から一本の電話がかかってきた。

「悪い奴等にいやがらせをされている、日本に帰るかもしれない」。事件というか被害については多くを語らなかったが、部屋が覗かれ電話も盗聴されているとのこと。詳しくは言えないけど手助けがほしいんだなと思い、パスポートやチケットを慌しく用意し、飛行機に乗るのも海外へ行くのも初めてという右も左もわからない状態でなんとか渡米したのは5月の下旬だった。

JFK空港で叔母とおち合い地下鉄へ向かうバスに乗って座席に腰を下ろすと、ほどなく目の前に黒人の二人組みがやってきた。すると、いきなり二人組みが手を打ち鳴らして大声で騒ぎだす。着いてのっけから、かすかにあった観光気分が完全に吹き飛んでしまった。地下鉄でクイーンズの叔母のアパートの最寄駅に着くまでは別の黒人グループに尾行され、着いたらゴミ箱を蹴飛ばしたり門扉を開け閉めするような音で外は騒々しく、向かい側が空間になっている窓(叔母のアパートは2階)の外からは「guide book」の声(机の上に置いてある、持参したニューヨークの観光案内本を指してのことのようだ)。外出すれば行く先々で、車のクラクション、奇妙な電子音、作り物のカラスの鳴き声がする。マックに入れば、プエルトリコ系と思しき女店員から「fuck up!(訳せばマヌケ野郎!か)」と言われ…。叔母は向こうでウインドウディスプレイの仕事をしていたのだが、その仄めかしなのか、街行く他人にすれ違いざまに「display」と言われる。とにかく外出する先々で騒がしくなり、多くの見ず知らずの他人に監視されるような状況になる。アパートに帰ったら帰ったで外で奇声を上げたり、騒音を出したりするような連中で騒々しく、ABC放送のナイターをつければ、見ている叔母が「今日はお前らにしてやられた、次は仕返ししてやる」って言っているというし…。

自宅のテレビに叔母の室内の様子が映し出されたことがあるという友人の家に同行した。道中のいたるところ、交差点や店舗の前など要所ようしょに体格のいい不敵な面構えの黒人が無線を持って立っていてこちらを睨む。叔母が寝ているときに身体がジリジリ熱くなることがあると言っていたので、マイクロウェーブを簡易検知できるものを探しに二人で電器街へ出かけたときのこと。初めての海外渡航の上にさらに強烈なストレスが加わってか、些細なことで口喧嘩となった。叔母は怒って一人来た道を引き返し、地下鉄の階段を下りていく。しばしその場で待つも戻る気配はなく、しかたなく階段を下りるとそこに叔母の姿はない。メトロカードを持たされていたので入場はたやすいが、どうやって帰るかだ。記憶にある断片的な単語を頼りにホームの路線図に見入る。なんとかアパートの最寄り駅までのルートを確認してほっとする。しかしそれもつかの間、一人電車に乗り込んだら自分の周囲が急に騒がしくなった。「こんどは俺かよ!」。「しかも、向かいの二人組みの乗客は叔母のアパートの住人じゃねーか」。

「これは現実なのか?」。頭の中の整理がつかない。まるでニューヨークという大きな劇場の中に一人投げ込まれたような感覚になる。

叔母からどこへ行っても声がついて来ると言われていた。着いて2日目くらいまでは分からなかったが、ある時ふっと何かがささやいているのに気がついて戦慄がはしる。それまでは環境変化、というより悪化が激烈すぎて気づかなかっただけなのか、ある程度状況が認識できて意識的に周囲の音を聞けるようになってからだった。セントラルパークの遊歩道上で、マンハッタンのカフェテリア形式の軽食店で、日本行きの航空チケットを購入しに立ち寄った旅行代理店の事務所で、避難的に一泊した叔母の仕事仲間の事務所兼仕事場として使っていた大きな倉庫でと、色々な場所で「ささやき声」を聞かされた。声は頭の中ではなく自分の周りの空間に音源があるように聞こえ、徒歩での移動に合わせてついてくることもあった。

強烈だったのは、夜叔母のアパートで寝ていたとき。5~6m程離れた足側の窓から水の流れる音がして、それがだんだん自分の方にやってくる。そして顔の上数10cmで止まり、やはりそこからボソボソとささやき声が聞こえるのだ。音像定位が非常にリアルで、足元のほうから顔まで自分の身体の少し上を本当に水が流れているかのようだった。当然、音像定位のシャープな多チャンネルシステムに対応するスピーカなど室内にあるわけもなく、叔母曰く、映画館で使われる「レーザーサウンドシステム」だと。今考えればこれは、「HSS(HypersonicSoundSystem)」だったのではないかと思っている。これはもう製品化されて市販もされているようだ。

まあ、ささやかれても英語だったから、この時は自分の英語力が幸いして内容から受ける心理的な圧迫はなかった。この他に水の滴るような音も頻繁に聞かされた。リビングにいるのに浴室の蛇口から水が滴っているような残響音のある不自然な音を。

叔母はトイレやシャワーを浴びるときは必ず明かりを消してバスルームに入っていた。何らかの方法で室内を盗聴・盗撮されていると言っていたからその対策のためだった。

せっかく来たのだからと、ロワーマンハッタンの今は無きWTCビルやミッドタウンあたりの有名軽食店に連れて行ってもらったりもした。自身も大変な目に遭っている叔母の気遣いが心に沁みた。叔母に連れ出される以外はアパートに籠もって韓国の食料品店で買ってきた魚の干物をつまみにHeinekenをあおる日々だった。

荷物の発送を手伝い、アパートの事後を叔母の友人に頼んで帰国の準備をした。帰国の際も様々な妨害工作受け、飛行機を一本乗り過ごしたりしたがなんとか叔母を新潟に連れ帰ることはできた。

しかし、それで一件落着とはいかなかったのは、このブログを書いていることからもお分かりになるだろう。

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